2330日と3年目
「カネキくん、22歳の誕生日おめでとう」
大学に行く前に朝のコーヒーを淹れようとしていると、気付かないうちに横に立っていたスーツ姿の月山さんからそう言われた。そこでやっと今日が12月20日、僕の誕生日だと思い出す。今までなら誕生日前に月山さんが何が欲しいかと聞いてきたけど、今年はそれがなかったから誕生日が近づいていることに気付けなかったんだと心づく。
はいこれ、と月山さんに手渡されたのは、手のひらサイズのフロッキング加工が施された四角い入れ物だった。去年の誕生日にも似たようなものを渡されたけど、その時はもっと大きくて、それには腕時計が入っていた。このサイズでこの入れ物と言ったら服飾品の類いだろうと検討を着けながら開けてみると、中には台座にダイヤモンドが嵌め込まれたプラチナリングが鎮座していた。
「……?なんですか、これ」
「見て分からないかい?指輪だよ」
「いや、それは分かりますけど……」
「君は豪奢なものを好まないだろうと思って、シンプルなものにしてみたんだが。気に入らなかったかな」
「気に入る気に入らないの問題じゃなくて……これ、婚約指輪とか、そういうものに見えるんですけど」
「?それはそうだよ。だって婚約指輪だからね」
意外と抜けているところのある彼だから、指輪の意味を勘違いしているのかと思って聞いてみたら、月山さんはこれがちゃんと婚約指輪と呼ばれる種類のものだと理解していた。
そうすると、ますますこれを僕に渡してくる意味が分からない。
頭上にクエスチョンマークを大量に飛ばしている僕に、月山さんは緩やかに微笑んだ。
「贈り物とは、相手に嬉しがって物を贈るのが一番だろう?いつもは君の意見を取り入れて贈っていたが、今年は一人で考えてみたんだ!カネキくんが最も欲しいものは、一体何かと!」
「指輪を貰っても、戸惑いしかないんですけど……」
「Non!それはただのアタッチメント!以前、君が望むなら星でも月の土地でも買ってあげると言っただろう。流石の僕でも星を買うのは無理だったが、星の欠片なら今回のプレゼントの付属に相応しいと思ってね」
手から指輪入りの小箱を取りあげられる。月山さんが、僕の足元に跪いた。
膝を付くことは負けを認めることだと言って、誰かに跪いた姿を一度も見せたことのない彼の突然の行動に驚いた。僕の手を取った月山さんの口から、さらに驚くべき言葉が紡がれる。
「カネキくん、僕と家族になろう」
僕らは、もうすでに家族でしょう。それとも、月山さんはとうとう僕を喰べるつもりになってくれたのか。言われた言葉の意味がよく理解できなくて混乱する僕の指に、リングがはめられる。一寸違わず指に合ったそれが嵌められたのは、左手の薬指。
「君は、ずっと本物の家族という繋がりに拘っていただろう。月山家に引き取ったと言っても戸籍そのものをうちに移したわけではないから、君はそれが気にくわないのでずっと拘っているんじゃないかと思ったんだ」
それは違う。僕と月山さんは、並んでいても少し年の離れた友人にしか見られなかった。最初から僕らの関係を家族だと思う人は、誰一人としていなかった。だから僕は、僕と母さんみたいな誰が見ても家族と思えるような関係になりたくて、それを叶えるには彼に食べられるのが一番だと思って、それでずっと、彼に食べられたいと思っていて。だってそれしか、僕らが本物の家族になれる道はないと思っていたから。
「ならば、もっと君と確固とした家族となろう。それが一番の贈り物だと、僕は思った!そして血の繋がりを持たない者が最も分かりやすい形で家族になるには、結婚するのが一番だ!だからカネキくん、僕と結婚しよう!」
僕の手を握って話す月山さんは、それがこれ以上ないくらい素晴らしい提案だと思っているらしい。
まるで、いつかの新月の夜のようだ。
あの時も彼は、こうやって自信たっぷりで提案してきた。目を細めて唇を綻ばせ、人間を飼うなんて残酷極まりないことを口にしたのと同じ唇で、僕に、僕が最も欲しいものをくれると手を差し出した。あの時と違うのは、僕が手を取る前に既に月山さんによって手が握られていること。そして、その提案が僕にしか利点のないこと。同性婚は日本では認められていないし、海外でも許されている国は少ない。そんなマイノリティの世界に月山家の御曹司が足を踏み入れても、メリットなんて何一つない。
何も言えず黙っている僕に、月山さんはさらに言葉を続ける。
「いや実はね、これは僕にとっても悪くないことなんだよ。僕はカネキくんが最も美味しくなるその時まで待つつもりでいるんだが、それがいつになるかは分からない。明日かもしれないし、一年後かもしれないし、もしかしたら十年以上先かもしれない。その時を逃さないためにも君とずっと共にいる必要があるが、普通の家族ではそれも難しいだろう?でも唯一無二の相手なら別じゃないか。それに僕は君のことを愛しているし、君となら結婚でもなんでもしていいと思っているんだよ。と、まあこんな具合だから、君は僕を気にして拒否する必要はない 」
ああ嫌だ。僕はどうやら、月山さんのことが本当に大好きだったみたいだ。彼の唇から紡がれるその一言一言が、どうしようもなく嬉しいと感じてしまう。そして今、やっと気付いた。僕が家族になりたかったのは、他でもないこの人だけだったんだ、と。
彼とは家族だったけど、それは飼育者と被飼育者という関係が土台にあってこそ成り立つものだと分かっていた。だから僕は、そんな土台を取っ払った本物の家族になりたくて、彼に喰べられたいと願っていた。僕は喰種にとって人間の肉がどれほど美味しいのか知らない。僕らは家族なのに同じ味覚を持つことすら出来なくて、いっそ喰種として生まれたかったと思ってしまった後に、それじゃあ月山さんと家族になることは出来なかったと気付き項垂れた。
それなのに月山さんは、簡単に僕の願いの上を行ってしまったみたいだ。だって、今僕がはいと頷きさえしてしまえば、この指輪は何よりも強い証拠になる。たとえ月山さんが僕を喰べなくても、僕ら二人は誰にだって胸を張って“家族だ”と言えるような、本物の家族だという証に。
「カネキくん、駄目かな?嬉しくなかったかい?」
「っ、こんなの、嬉しいに決まってます……!今まで、最高のプレゼントです」
月山さんはずるい。身内から見捨てられた僕に最初から優しくて、彼が喰種で僕を獲物として見ていたことが分かった後も、喰種と人間という違う種であることを気にさせないくらいずっと優しくしてくれた。そんな彼に彼に唯一無二の家族になりたいと言われて、僕が嬉しくないわけがないじゃないか。
絞り出した言葉と共に、熱い何かが頬を伝っていく。滲んだ視界の中で、僕の答えに満足したように笑った月山さんは、僕の頬に手を伸ばし、伝い落ちるそれを指で拭い取って舐めた。
「そうか、それは良かった!ところで、カネキくんは涙さえ濃厚で甘いのだね。体液は肉に比べて薄味なうえ涙というのは汗などの他の体液と簡単に混ざってしまうから、純粋な涙がこんなにも甘いものとは知らなかったよ」
「ふふ、普通涙はしょっぱいものなんですよ」
「ならば、やはり君は特別だ」
ふ、と笑うと、月山さんは立ち上がり、ずっと握っていた僕の手を離した。
「メインディッシュの味見なんて野暮なことをする気はないが、変化し続ける君を味見出来ないのも勿体ない気がしてきたよ」
「味見しても良いんですよ?」
「君の体を損なうのは流石の僕でも気が引けるさ。ああ、でも……」
急に考え込むように顎に手を当てると、「そうだな……」と呟いた。切れ長の目を伏せ真剣に考え込んでいる姿は、いつだってはっとするような凄みがある。それに見惚れていると、突然月山さんは右手を僕の腰に回して、自分の方へと引き寄せた。引き締まった胸板にぶつかり驚いていると、上から声が降ってくる。顔を上げたら、赤みがかった瞳を細めながら僕を見る月山さんと目が合い、二人のどちらかが少しでも動けば唇が触れてしまいそうな距離に面食らう。今まで彼に様々なスキンシップをされてきたけど、こんなにも近づいたことは一度だってなかった。
「君を損なわずに味見をする良い手があった。カネキくん、先に許可を出したのは君なのだから怒らないでくれたまえよ」
僕の目を見ながら、月山さんは邪気のない子どものように微笑むと、そのまま僕の唇へと口付けた。
ああ、きっと今なら、僕は月山さんにとって最高の“美食”となるに違いない。
だって今、僕はこんなにも幸せだ。
彼らが家族になるまでの2330日と3年間の話でした。
ちょっと補足すると、カネキ君が月山さんの手を取ってから2330日目がカネキ君19歳の誕生日、そして2330日と3年後が22歳の誕生日です。