「フォスは宝石が好きなのか?」

 

 そう言ってガラスに張り付いてショーケースの中を覗く幼いフォスの頭を撫でた父の声は優しく、手を繋いだ右側からは「きらきらしていて綺麗な物は誰だって好きよねえ。お母さんも大好きよ」と笑う母の声がした。

 一目見て“宝石”と呼ばれる彼ら達が好きになった。きらきら、きらきら。人工の光を浴びて、ショーケースの中で色とりどりに輝く宝石達は幼いフォスの目から見てもどれも美しく、赤や青や透明、黄から黒からピンクまで色鮮やかに自己の美しさと気高さを主張しながら微笑んでいた。台座に填められた美しい石達の輝きのなんと優しいことだろう。

 

「はじめまして、ぼくのなまえはフォスだよ。きみはなんてなまえなの?」

 

 挨拶をしても、石達は言葉を返してはくれなかった。けれど声無き宝石達が楽しげにきらきらと光を反射している様は、まるでフォスに「初めましてフォス」と挨拶をしているようで、幼いフォスは楽しくなってショーケースの中のいろんな石に声をかけていた。

 

「フォスったら宝石さん達にご挨拶してるの? 皆何て言ってるのかしら」

「はじめましてって言ってる!」

「あらあら。皆お行儀の良い宝石さんなのね」

「うん!」

「お前の名前も、宝石から取ったんだよ。家に買ったら図鑑で見せてあげよう」

 

 そう言った父の声は穏やかで。そのとき父に教えられた元になった宝石の長い名前を幼いフォスは覚えきれず、その後宝石店からの帰り道の間、何度も両親に聞き直すことになった。

 家に帰ってから見せてもらった図鑑で、名前の由来となった宝石の姿を教えてもらった。店で見た宝石達と比較しても見劣りしないようなうつくしい薄荷色をした石だ。けれど。

 

――フォスフォフィライトは、非常に脆く壊れ易い。

 

 自身の髪や目と同じ色を持つ宝石達の下に書かれたその一文が、幼いフォスには何故か耐えようもないくらい悲しく辛いものに見えたのだ。気が付けばぽろぽろと涙を零して泣いていた。

 

「フォス、フォス、どうしたの?」

 

 突然悲しそうに泣き出した娘に慌てた両親が、右往左往しながら幼いフォスを抱きしめ背中や頭を撫でて宥める。

 

「綺麗じゃなかった? 好きな宝石じゃなかったか?」

 

 訊ねる父親に、必死で首を横に振ったのを覚えている。フォスフォフィライト。そう銘打たれた石は、両親が名前に使いたがるのが分かるくらいとても綺麗だった。

 

「珍しくて凄く綺麗だけどとっても壊れやすいから、大事に大事に扱われる石なの。あなたも周りから大事に大事に思われるような、そんな子になってくれれば良いなってお母さんとお父さんで考えて決めたの」

 

 大事に扱われなくて良い。ただ、強い石であってほしかった。

 

 

 

「良いこと? 今日は風が強くて寒いから絶対に外に出ちゃ駄目ですよ? この前みたいに蝶々が飛んでいて楽しそうだったからーなんて理由で勝手に外に出たら怒りますからね。熱を出してからじゃ遅いんだから」

「はーい」

「もう、そんな暢気な返事なんてしちゃって。本当に分かってるのかしら」

 

 白衣の看護師は呆れたような言葉を投げてくるが、その実口調は優しく、口元には笑みが浮かんでいる。腰に両手を当てた拍子に、彼女の胸元のネームプレートがカチャカチャと音を立てて揺れた。

 

 フォスの両親が名に込めた願いは、不幸にも身体虚弱という形で表れてしまった。ちょうど、初めて宝石店に行った頃からだろうか。それまではずっと健康優良児だったというのに、フォスは坂を転がり落ちるように病気がちになり、今ではすっかり小児病棟の長期療養者だ。

 ほんの数分雨に降られただとか、薄着で外に出てしまったとか、その程度で容易くベッドの住人となってしまうようになった自身の体。適切な治療を受けているというのに骨や血管もどれだけ経っても弱いままで、軽くぶつけただけで青い痣が出来てしまうし、ちょっと強く転んだら骨だって簡単に折れてしまう。

 大事に大事に扱われなければ簡単に壊れてしまう自分の身体が、フォスは大嫌いだった。

 

「でも、最近は調子良いみたいだし、先生が良いって言ったら院内を歩き回るくらいは許してもらえると思うわよ」

「ほんと? やったー!」

「先生が許可をくれたら、の話よ」

 

 看護師が新人だった頃からの付き合いなため、彼女とフォスは年の離れた姉妹のような関係になっていた。身体は弱いものの天真爛漫で愛すべき末っ子気質なフォスと、何人も下に弟妹がいる長女な彼女の相性が良かったのも、仲良くなれた理由の一つだろう。

 

「大丈夫だって! 先生、僕に甘いから!」

「知ってるわ。可愛がりたくなる気持ち、分かっちゃうのが悔しいわね。ただし、先生が回診に来るまではじっとしてるのよ?」

「分かってるってば」

 

 よしよしとフォスの頭を撫でると、看護師は病室を出て行ってしまった。

 会話の中に出てきた先生とは、もちろんこの小児病棟にいるフォスの担当医のことだ。体は大きくて顔はちょっと厳つくて頭はつるりと剃られているが、優しくて頼もしくて、小児病棟にいる子ども達皆に好かれている。たくさんいる子ども達の中でも特にフォスのことを気にかけてくれているのは、きっとフォスの気のせいではない。

 普通の人が当たり前にしている呼吸や鼓動すら満足にできないフォスの身体。まるで生き物の体が合っていないみたいだと笑いながら言った薄荷色の頭を、その大きな手で撫でて悲しそうに微笑んでいた先生の表情をフォスはよく覚えている。

 

--フォス、お前は宝石が好きだと言っていたな。

 

 その時フォスは、なんと答えただろうか。見たことのない先生の表情にぽかんと呆気に取られて、頷くことしか出来なかったような覚えがあれ。ただ、自分の発した言葉は覚えていなくとも、その時先生が複雑そうな考えの読み取れない顔で紡いだ言葉はよく覚えている。

 

--もしかすると、体ごと宝石になろうとしているのかもしれないな。宝石は何も食べないし、呼吸もしないだろう。

 

 先生にそう言われて、なるほど確かにそうかも、と合点が行ったのだ。すぐ食べ物を受け付けなくなる胃も、まともに空気を吸おうとしない肺も、血潮の流れる血管も、命を送り出す心臓も、皆宝石になってしまえば必要のないものだ。

 

「あーあ、金剛先生早く来ないかなー」

 

 ベッドから下ろした足を、ぷらぷらと揺らしながら独りごちる。

 今日はどんな話をしよう。朧気な夢の中で見た、人の形をした宝石達の話でもしてみようか。

 

 

 

きらきらかがやくあのひびのこと